三鷹の農業の歴史
三鷹の集落の発祥は古く、石器時代の住居跡も発掘されているが、農業の歴史は今から約350年前、江戸の火災(明暦の大火)によって移り住んだ被災者によって新田開発がされたといわれています。
明治に入って農民保有地に私的所有権も認められ年貢増徴や地租改正に反対して、農民一揆を起こし減租措置を勝ち取った歴史も刻まれている。その頃、主要作物は水稲、陸稲、ムギ、ヒエ、ゴマ、トウモロコシ、大根、いもと主穀類や雑穀類が中心であり、養蚕の時代を経て野菜の生産へと移ってきた。その間、関東大震災や第2次世界大戦の戦中、戦後の食料不足の時には常に食糧の生産基地としての役割を担ってきました。
三鷹市役所周辺の昔
○主要作物・昭和初期 水稲・陸稲・麦・ヒエ・ゴマ・トウモロコシ
大根・ 養蚕 <穀物中心>
現在の三鷹市(Google earthより)
そして、戦後の復興とともに主穀類から一般野菜そして洋菜類へと作目も変わり畜産や植木、花へと都市化対応の中で変遷を遂げてきました。
昭和30年代以後の高度経済成長時代の急激な都市化の波に洗われ農耕地、農家戸数は半減した。平成4年には新生産緑地制度が施行され、農業を続ける意思を明確にしなけれならなりました。
農業人口と耕地面積の推移
※農林水産省「2005年農業センサスの農家調査結果表」
農業産出額内訳
※東京都「農産物生産状況調査結果報告書」
作付面積と生産量
※東京都「農産物生産状況調査報告書」
都市農業の問題点
三鷹という都市の地域社会や生活習慣の中で、農業は大きな役割を果たしています
都市の中にある農地は新鮮で安全安心な農作物を供給するばかりではなく、地域に潤いのある景観をもたらし、雨水の浸透など循環を保全し、市民や子どもたちに土と触れ合える場所や、災害時の避難場所など、多面的機能を果たしています。
私たち生産者は様々な工夫を凝らし、また都市農業の可能性を追求し、様々な活動を行ってきました。
都市計画法
しかし、難しい問題にも直面しています。都市計画法により三鷹市全体は市街化区域となった。市街化区域とはおおむね10年以内に市街化を図るべき地域のこと。つまりはここでは農業はするなと国が言っている場所です。
平成7年から平成17年までの10年間で、三鷹の農地は約50haが消失。井の頭公園(38ha)以上の広さの農地が三鷹から消えてなくなった。今のペースで農地が減少していったら、この先どうなってしまうのでしょうか。
三鷹には若くして農業を志す後継者がたくさんいます。後継者がいるのに、相続・事業継承の度に相続税を課せられ、国が農地を取り上げていきます。後継者は常に不安と向き合いながら生活をしているのです。
東京に農地は必要と思うか?
※H21年の都政モニターアンケートでは、東京都民の85%が東京に農地を残したいと回答してくださってます。
新しい法制度をつくり、農と緑のある町・三鷹を守っていくには地域の皆様の応援が必要です。私たちも頑張りますので、これからも引き続き応援宜しくお願いいたします。
栽培している特産品
トマト、キュウリ、なす、アスパラがガス、とうもろこし、えだまめ
ブロッコリー、カリフラワー、きゃべつ、キウイ、ぶどう、みかん、江戸東京野菜(大蔵大根、のらぼう菜、内藤とうがらし)